
東総の旭市内を総武本線に並行して、ほぼ直線で走っている国道126号線は、昭和13年に、民家を強制的に移転させて建設されました。目的は、軍事飛行場造成の資材搬入のためです。建設に必要な用土は、当時の街道(通称“江戸みち”)を掘って調達しました。そのため、現在は旧道として残っている街道が、途中から川になっています。
旭駅と隣の八日市場駅の間は離れていたため、上下列車交換を行う干潟駅を中間に作っていましたが、周りには民家もなく乗客はいませんでした。この干潟駅が、航空基地建築のための資材輸送に利用され、たくさんの労務者(多くは囚人や朝鮮人)、およそ5000人の軍人が次々とやってきて、静かな田舎にいきなりよそ者の街が出現しました。
この基地の影響は以下の通りでした。
造成のための強制移転 : 145戸
航空基地から出撃し、戦死した将兵 : 1168人
畑に墜落した軍用機で死亡した民間人 : 37人
現在の国道126号線は重要な生活道路であり、旧“江戸みち”は、途中が川で寸断された裏街道として残っています。街道が新川を渡るための「ガタクリ橋」と呼ばれる木橋と宿屋はなくなりましたが、地元のお伊勢参り「鎌数伊勢大神宮」と片栗粉工場は、今も健在です。
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